ケルムスコットマナー:ウィリアムモリスを巡る旅4
イギリスの紅葉深まる10月下旬、念願のケルムスコットマナーに行ってきました。
ケルムスコットマナーはウィリアムモリスが ”地上の楽園”と表現した癒しの家であり、多くのインスピレーションを得た場所です。
ここは4月から10月末の水曜と土曜のみ空いています。初夏から始めたウィリアムモリスを巡る旅、モリスが子供時代に住んだ家である現在のウィリアムモリスギャラリー、結婚後に住んだ家のレッドハウスと訪ねてきましたが、ここは念願の場所で、10月の最終週の紅葉きれいな時期に、何とか訪ねることができました。
今回は、ウィリアムモリスを巡る旅、ケルムスコットマナー編です。
ケルムスコットマナーウェブサイト(英語)
ロンドンから車で西へ約2時間。オックスフォードシャーの中のはちみつ色の村々がある中に、その場所はあります。
着くなりランチタイム。まずは腹ごしらえです。笑
マナー横にはティールームやショップがあり、ピクニックエリアもあります。
この日は10月末にも関わらず暖かく晴れた日で、このコッツウォルズの自然を満喫するのに最高の一日でした。
お腹を落ち着けたところで、いざマナーへ。
この家は、モリスがビジネスパートナーでもあるダンテ·ガブリエル·ロゼッティと共同で借りた家です。
モリスはそれまで仕事場でもあるロンドンの家に住んでいたそうですが、ここをロンドンでの激務と生活のプレッシャーから解放される場所として借りました。また当時モリスの妻ジェーンとロゼッティは親密な仲でもあったので、そのプライバシーを保つという理由もあったそうですが。。
1871年に移り住んだ後、1872年から74年の間、モリスは意図的にこの家から距離をおいていたそうで、それはロゼッティとモリスの妻ジェーンの関係を認めてのことだったようです。複雑な人間模様です。
さて、この建物は、もともと1570年頃に地元の農場主によって建てられた屋敷でした。
中ではモリスの生活の様子が紹介されています。
入ってすぐにあるのは、こちらのダイニングエリア。
ここには、装飾に使われているのは、モリスがこのケルムスコットでインスピレーションを得たというファブリック。
日本でも ”いちご泥棒” の名前で知られていますね。
グリーンルームと呼ばれる部屋にあった、このファブリックが素敵だなぁと思いました。
キャビネット上にはこのパターンのウッドブロックがあります。
この部屋の壁は部屋名の通り元々はグリーンの壁で、モリスが”目に優しい”と表現していたそうです。残念ながら今は上に白く塗られてしまっています。一体どんな色だったのでしょう。さらなる調査でいつかそれが出てきたら、ぜひ見てみたいです。
こちらはパネルのついた白いお部屋。
少し天井が高くなったこの部屋は1660年から80年頃に増築された部分で、とても明るくて居心地のいいお部屋です。
2階で印象的だったのは、このジェーンのベッドルーム。
モリスの代表柄の一つである、”Willow Bough” が使われています。
この柄は、モリスが敷地内の小川をボートで下っているときに見えた模様、がインスピレーションだと聞きました。
その柳の様子は後ほど探すこととして。。
こちらは、タペストリーのお部屋。
窓からの眺めも素敵です。いつでもこんな景色に包まれていられるなんて、いいなぁ。
このお部屋には、ケルムスコットプレスというモリスが設立した出版社からの本が展示されていました。
モリスの大学時代からの親友エドワード·バーン·ジョーンズがイラストを描いた本。古英語で読みづらかったのですが、とても美しい書体と絵の本です。
この後は、屋根裏へ上がります。
後付けされた階段は、短い距離にはめ込まれているため、こんな感じですが、見た目より昇りやすいです。
屋根裏には、モリスの2人の娘のベッドルームもあります。
屋根裏って、何だかわくわくしちゃいます。が、当時は寒かっただろうなぁ。。
それと、来場した子供が遊べるようなコーナー、で遊ぶ私。笑
これはPure Morrisというモリスのパターンの良さはそのままに、落ち着いた色合いになった現代風のものです。
今までモリスのファブリックや壁紙を様々な実際の空間で見続けてきた後だと、ひとつずつの柄が特別に感じます。
表に出ると、もう15時。10月末なので太陽はすでに低いですが、西側は明るい。
せっかくなので、敷地内をお散歩。
秋の実りを感じます。
モリスの妻ジェーンの寝室にも使われていた”Willow Bough” の元になった風景を探して、うろうろ。
下から見上げた様子、と聞いたけれど。。こんな感じだったのかな。
モリスの眺めた景色を感じたくて足を伸ばします。
こんな小道を歩いて、
近くのテムズ川へ。。
特に今日のような晴れた日には、最高の場所です。
彼が ”地上の楽園” と表現したのも納得です。
少し薄暗くなる中を、帰りがけに立ち寄るのは、モリスとジェーンのお墓がある教会。
行けばわかるかと思いきや、わからない。。
うろうろしていると、”モリスのお墓はあちらだよ”と見知らぬ人が教えてくれました。
きっとここにくる人の多くは、モリスのお墓を見に来るのね。
そのお墓は、思ったよりも小さくひっそりと佇んでいました。きっと自分では見つけられなかったと思うほど。
墓碑には、妻ジェーンと、娘2人の名前もあります。
様々な人間模様を得たとしても、最後は家族で仲良く安らかな眠りについていることでしょう。
モリスの足跡を辿る旅として、モリスにまつわる場所を訪ねてきました。
彼が住んだ家、亡くなった家(それはケルムスコットマナーではなく、ロンドンのハマースミスにあるケルムスコットハウス)、モリス商会がデザインした2つの家、(Standen House, Wightwick Manor) 、モリスの工場跡地であったマートンアビー(はうちの近所)
最初は、ウィリアムモリスといえば、アーツアンドクラフト運動を始めたデザイナー、としか知りませんでした。
デザイナーとしてのモリスを調べるうちに、モリスの他の側面、詩人であったり、社会主義活動家という部分も興味深く思えてきました。
モリスのデザインは彼の思想が具現化したものですが、一体それはどのようなものだったのか、彼は何に影響を受けたのか、そしてモリスの思想やデザインはその後どのように影響を及ぼしたのか。
旅を続けるうちに、そのようなことをもっと知りたいと思うようになりました。
何も知らないままに、まずは行けるところに行き、そこで気づいたことをさらに調べ、そして興味の湧いたところをさらに訪ねるという手探りのマイツアーでしたが、それでも最初は点でしかなかった断片的な知識や情報が少しずつ繋がり、どこかでいろんなことが急につながる瞬間があるものです。
理解が深まった気もするのですが、思うのは、まだ知らないことばかりという無知の知と、次はもっとこれを調べたいという好奇心でしょうか。
旅のゴールは、次の旅のスタートですね。笑
これからも手探りマイツアーを続けていきたいと思います。
他のウィリアムモリスを巡る旅は、以下からリンク先へジャンプします。
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