地球の裏側から住まいづくり1)久しぶり帰国の理由
師走になりましたね。日本から戻って早くも4週間、季節は秋から冬に変わり、すっかり日常に戻りました。
今年は訳あって3回も単身日本に戻りました。
ご近所さんからは、しばらく見なかった娘が突然頻繁に姿を見せ始め、すっかり「出戻り」だと思われているかもしれません。
「久しぶりね〜!あらお一人?」
それ以上、何も聞かれません。笑
頻繁に日本に戻ったその理由は…
昨春に、私の東京の実家を建て替える?!という話が出たためです。簡単に言うとダウンサイジングという感じです。
ちなみに、去年の今頃には脳裏をかすめてもいない話でした。今の両親の住まいは、東京の練馬区関町という住宅地にあります。母の地元で、私もそこで生まれ、子供時代の一部を除いてはそこで育ち、そこからイギリスにも来ました。
そして、これからもそこで我が両親は老後を過ごして行くのだと、家族皆が思っていたのです。
が、いろいろ事情やタイミングも重なって、今回の話になりました。
そうなった理由の一部に、もしかしたら私が日本を離れ、イギリスに来てしまったこともあるのかもしれません。
自由にはさせてもらいましたが、まさか「異人さんに連れられて〜」地球の裏側に行ってしまうとは思っていなかったでしょう。
母も自分の地元で両親を見ていたため、兄がいるとは言え、やはりそこは娘の方を頼るつもり、だったのかもしれません。
もうすっかり元気になりつつあるのですが、去年母は手術を受け、1ヶ月程入院しました。
何と私はそれを退院するまで知らなかったのです。
メールなど使えない両親には、私が一方的に実家に電話する以外に連絡手段がなく、安否確認のために定期的に電話していました。その頃はいつもの時間にも繋がらず、最初はでかけてるのかな?程度に思っていたものの、さすがに1ヶ月も続くと心配になり、兄に電話したのです。すると、
「お母さん、1ヶ月くらい入院してたんだよ〜、もう退院したけど」
…全く想像してませんでした…。
「心配かけたくないし、どうせ遠いから戻ってこれないだろうし」
…ショックでした。確かに、簡単に戻れる距離ではありませんが…。
最近はインターネットのおかげで連絡も簡単になったので、私はそんなに距離を感じることは少なくなりました。
離れても大丈夫、というのは私の勝手な考えで、やはりイギリスに来たことのない家族からすれば、遠い異国なのです。
自分で決めてイギリスに移ったものの、知らぬ間に生まれていた距離に、心苦しくなりました。
こちらの生活も駆け出しで大変だったこともあり、来てよかったのかなぁ…と思ったりもしました。
すると兄に言われたのです。
「東京に残ったから全てが上手くいったとは限らないし、自分の人生なんだから、そこから自分のできることをすればいいんだよ」
ちょうどその頃の私は、何だか日本が少しづつ遠くなるような、寂しい気があったのです。
これからもずっと住み続ける地球の裏側、イギリス。その異国での生活に馴染むためにも、渡英当時の私は敢えて日本人もいない、日本とは関係もない現地の環境ばかりに身を置いていました。異国生活に適応していくプロセスなのかもしれませんが、少しずつこちらに馴染む程に、日本が自分の中で小さくなっていく感じもしていたのです、
こちらの生活で忙しくなれば、イギリスに来たこともなかった頃のように、日本に行く事もどんどん少なくなるのかもしれません。
日本を離れてみれば、やはり自分は日本人なんだと良くも悪くも改めて気づくことが多いです。
それと共に、自分が日本人でよかったと思えることを嬉しくも思うのです。自分のルーツを誇りに思えるというのは、幸せなことだと思います。
将来的には、こちらと日本をつなぐこともしていきたい、と改めて思い始めた頃でした。
兄の言葉と、自分の方向性を合わせて考えました。
私はインテリアデザイナーなのです。両親の終の住処に、私が何もしなくてどうする!!
気づけば今まで「糸の切れた凧」のごとく、日本、カナダ、イギリスと3カ国で住み、働き、それぞれの違いも良さも見てきました。
それらを繋ぎ、過去と未来を繋ぐこと。それが自分のしたいことだと思ったのです。
今まで自由にさせてもらったお礼というわけではないですが、老後を迎える両親のこれからの生活を、老後だからとしぼむことなく、様々なことををつなぐことで、そこから楽しい何かが生まれていくようにしたい!と思ったのです。
幸い両親も私の提案を喜んでくれました。ここを拠点にいろいろしてちょうだい!と。
嬉しい限りです。(そうやって出戻り娘になって行くのでしょうか?…笑)
クライアント兼デザイナーとなったこのプロジェクトを、私は勝手に「つながる家(つながるや)」プロジェクトと名付けました。
皆がこの家で、もう一度繋がって欲しいと願っています。
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